07/02/01

腰、肘、腕、肩。
やがて髪紐に、指先が。


つん、と引っ張られて眉根が寄ったのが自分でもわかった。
煩わしい。
晏樹のこういう所が好きになれない。
こいつは暇になると俺の服や飾り帯を摘んだり引っ張ったりして戯れる。
仕事中だというのに、余りに煩わしくて仕方がない。

「何が楽しいかは知らんが、やめろ」

振り向かずに手で払うとあっさりと引っ込める。
そのくせ、隙を見てまたそろりそろりと指が肘を伝ってくる。

「やめろ」

不快さをはっきりと示すと、肘にかかる重みは消えた。
その名残を振りきるように冊子を捲る。
晏樹が何がしかの歌を口ずさんでいるのが聞こえたが、そのうち室内には冊子を捲る音と筆を動かす音のみとなった。
しばらくして、キィ、と開かれた窓が沈黙を破った。
御史台の本省は他の省とは異なった区画にあるので、さして雑音は入って来ない。
害もないのでそのまま放っておくと、耳に冷たいものが触れた。
それはそのまま触れていたかと思うと、
俺の耳を、挟んだ。

食まれている。

そう感じた瞬間、バッと振り返ると晏樹が呆気にとられた様子で突っ立っていた。

「そんなに嫌だったのかい?」

嫌も何も、と言い返そうとしたとき、晏樹が小さな花びらを摘んでいるのに気づいた。
じっと凝視していると、ああ、とそれを顔の高さまで持ってきた。

「窓から入ってきたのだろうね。君の耳にくっついていたから、取ったんだよ」

そう言って、花びらをまじまじと見つめている。
花びらは桜のような、儚いまでの薄紅色をしていた。

「君の耳にピタリと張りついてねぇ、離れないんだよ。こんなに小さいのにね、健気だね」

よく頑張ったね、そう言うと晏樹は花びらに口づけをひとつ落として、吐息を洩らした。
その流れにのって、花びらはくるくると舞いながら窓の外に消えていった。
そうして、晏樹は窓枠に頬杖をついてぼんやりと外を眺めていた。
俺は衣服のあちこちを引っ張られたときよりもむしろ不快な心持ちになり、さっさと背を向けて仕事を再開した。
晏樹は何も言わない。
きっと花びらの行方でも追っているのだろう。
何故だかいよいよ不快さが増し、滑るように筆を動かした。
室内は再び、冊子をまくる音と筆を動かす音に支配された。

「ねぇ、皇毅」

だしぬけに、晏樹がこちらを振り向いた気配がした。

「君、さっき物凄い顔で振り向いたけど」

声は歌うように広がり、見えない波紋は幾重にも広がる。


「何に触れられたと思ったの?」


風が花びらを室内に吹き込む。
それは晏樹の長い髪にまとわりつき、柔らかに馴染むだろう。
想像するだけでなんとも鬱陶しいので、俺は振り向かぬまま次の冊子に手を伸ばした。


[花を食む]