07/04/20

扉を開けると、ひどく非日常な光景があった。

姉が、寝台の上で眠っていた。
ここは姉の部屋であり姉が何をしていようが一向に構わぬし今更驚くこともないのだが、
時分が時分である。
昼間からいい気なものだ。
そう思った自分に何故か少しばかり安堵して、
けれども部屋に足を踏み入れるのを何故か少しばかり躊躇って、
そろそろと近づいた。
姉はまるで棺の中の死体のように不自然に整った様子で眠っていた。
制服を着込んだままでいるのが、これまた滑稽である。
今日は日曜日であったが、大方役員の用事で登校したのだろう。
この姉は、とかく役員やらナントカ長やら愚にもつかない立場になることに血道を上げている。
部屋着に着替えもせずに深く眠るその頬は、少し痩せている。
その心根になんとも言えぬ、気持ちになる。
慣れない感覚であるがおそらく、
遣る瀬無いという言葉に当てはまるのだろう。
ひと時の平穏を貪る姉を哂うかのように、気まぐれにカーテンが揺れる。
その風にのり、姉の髪がひと房、寝台から零れ落ちる。
黒々とした髪が白い布に垂れる様子は、ひどく潔癖であった。
そのくせ、垂れた髪は日の光に艶々と濡れてる。
不可思議な誘いにのり、私は更に近づいて寝台に腰掛けた。
することもないので、姉の顔を眺める。
えてして寝顔と云うものは、意思ある瞳を隠し人の個性を消すものであるが、
この姉は目を閉じているときこそが、本物と思える。
目を、しか、と見開いていても戯言ばかり口にする実に無個性な人間であるので、
目を閉じているほうが逆に具合がいいのかもしれない。
かえす返すも奇っ怪な姉である。

不意に、私の頬を優しくねぶるものがある。
なんてことはない。カーテンである。
私は寝台から降りて、床に直接座った。
そうして、先ほどねぶられた頬を滑らかな掛け布に横たえた。
別に、揺れるカーテンが煩わしかった訳ではない。
その動きを、下から眺めたかったのだ。
不規則に揺れるカーテンは北極光のようであった。
いつかテレビで見た、あの幻想的な動きによく似ていた。
位置的にきっと、この北極光の影は姉の頬でゆらゆらと揺らめいていることであろう。
それを確認してみたかったが、このだらしない体勢で純白の北極光を眺めるのはひどく贅沢なことであったし、
頭に微かに感じる姉の体温がなんとなく心地よかったので、そのままで居た。
ただじっと、気まぐれな動きを目で追う。
ふわりと揺らめくたびに、柔らかな光が部屋に差す。
風薫る皐月の空気は穏やかで、まるで時が止まっているようである。
けれども時は確実に刻まれていて、目に見えずとも何がしかの変化をもたらしている。
喧騒の外界にも、全てから隔絶されたこの部屋にも。
私たちは、いっこく一刻、変化している。
ふと、むやみやたらにふあんな、気持ちになり覚束なくさ迷わせた目に、
安らかに上下する左胸が映った。
姉のその左胸は、私の心情とは真逆に憎らしいほど規則正しく上下している。
その動きを見つめているうちに、不思議と落ち着いた。
目を閉じると、己の力強く脈打つ鼓動が聞こえる。
私はある欲求に駆られ、目を閉じたまま姉の左胸に手を添えた。
乳房と云う厚い肉は、私の欲求を叶えるのを妨げたが、
それでもじっと目を閉じたままで居ると、
確かに聞こえてきた。
安らかに、規則正しい生命の音。
本当に聴覚や触覚から感じているかはもはや定かではなかったが、
それでも構わなかった。
ただこの音を感じて居たかった。
鼓動は手のひらから、腕を伝い、やがて全身に巡って私の胸とひとつになった。
目を閉じた暗闇の中で、鼓動の音だけが聞こえる。
姉と、ひとつの生き物になったような、そんな気がした。
それはひどく心地のよい感覚であった。
言い知れぬ感動に目を見開くと、姉のやはり白い頬が目に入った。
北極光が揺らめく。
なんとはなしに。

その頬に、涙が伝ったら、

そう思った瞬間、
私は姉と全てを共有する感覚を失った。
代わりにひどい喪失感を味わった。
もうここには居ることは許されないということを悟って立ち上がった。
姉は眠る。
その白い頬も、安らかな鼓動も、全部が名残惜しかったけれども、
背を向けて扉に向かった。
扉までの十歩。
目蓋を震わせながら、透明な雫がほろほろと頬に道筋をつける幻が、
どうにも頭から離れなかった。



楸瑛は、そっと、瞼を持ち上げた。
しばらくじっと、虚空を見つめていたが、
やがてスカートをたくし上げて下着に手を忍びこませた。
そうしてしっとりと濡れていた其処に、
熱い溜め息を零した。



[きっとあなたがそこにいたせい]